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かつっぺ
こんにちは。
映画『余命10年』…小松菜奈さんの漫画コスプレを見られなかったのが残念なかつっぺです(笑)。

小坂流加さんによる小説『余命10年』と、藤井道人監督が映画化した同名映画作品ではラスト部分が決定的に違いました。

難病・肺動脈性肺高血圧症を患い、余命10年と言われた主人公・高林茉莉(小松菜奈)と茉莉に恋をした真部和人(坂口健太郎)が最後はどうなるのか。

『余命10年』のラスト:小説と映画の違い

小説:茉莉は最後に、「やっぱり和人に会いたかった」と思いながら死んでいく。
 
映画:危篤状態となった茉莉の「会いたい、会いたいよ、和くん。和くん、大好きだよ。」という想いが届き、和人が病室を訪れ、微笑み合う。

小説では、映画ではカットされた小学校の焼却炉のエピソードがありますので、それも含めると、筆者は小説の方が映画より10倍泣けました。

がっつり泣きたい方は、是非原作小説の『余命10年』をお読みください。

この記事は、映画の基本情報・あらすじは最小限にとどめ、『余命10年』の小説と映画のラストに焦点をしぼって個人的感想をまとめたものです(ネタバレ注意)。

『余命10年』の小説と映画ではラストがどう違うのか、どちらが泣けるのか気になる方の参考になれば幸いです。

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小説『余命10年』 基本情報&あらすじ

 


余命10年 (文芸社文庫NEO)

作者:小坂流加

・1978年7月4日~2017年2月27日 38歳没

・他の作品 『生きてさえいれば』

あらすじ

ウィキペディアからの引用です。

少し長いですが、これさえ読んでおけばほぼ内容を把握できます。

ただ、ラストは少し違うので、後の感想部分で補足します。

主要人物は青文字の4人、茉莉・和人(茉莉の恋人)・早苗(茉莉の親友)・桔梗(茉莉の姉)です。

高林茉莉(たかばやしまつり)は、20歳の夏に突然の発症で入院し、国の難病に指定されている遺伝性の肺の病であることを告げられ、その病気の患者で10年以上生きた人はいないことを知る。度重なる発作に苦しめられ、手術も受けたが体に目立つ傷痕を残しただけで病状は改善しなかった。21歳の誕生日は朦朧とする意識の中で迎え、短大は中退している。

 

それでも、22歳の春になって、ようやく自宅療養が許され茉莉は退院となった。少しずつ外を散歩したりして体が慣れ始め、茉莉は中学校からの親友・藤崎沙苗(ふじさきさなえ)に誘われて秋葉原でのコスプレイベントに参加する。元々アニメを観たり、漫画を描くことが大好きだった茉莉はイベントでコスプレしたり、早苗の同人誌に自分の漫画を載せてもらったりすることに夢中になっていき、その次の年の春には自分で同人誌を描き上げてもいる。

 

茉莉が25歳の桜の頃、姉の桔梗(ききょう)が鈴丘聡と結婚し、聡の仕事の都合で二人で群馬の地元に引っ越していく。茉莉は桔梗の家に遊びに行った時に、気まずいことがあって疎遠になっていた小学校時代の親友・新谷美幸を思い切って訪ねる。そして、美幸に誘われて小学校の同窓会に参加した茉莉は、東京でアパレル系のOLをしていると皆には嘘をついてしまう。同窓会では、茉莉が初恋の相手だったという真部和人(まなべかずと)と再会する。和人から想いを伝えられ2人は親密になり、もう恋はしないと決めていた茉莉も次第に和人を愛するようになっていく。

 

27歳の誕生日、和人と初めて1泊でデートをした茉莉は、帰りに倒れてしまい、入院することになる。病院で茉莉の父親と初めて顔を合わせた和人は、父親の口から茉莉の病気のことを初めて聞かされる。3週間後、退院した茉莉は和人の家を訪れ、これまで隠してきた病気や余命のことを和人に明かした。それでも和人は結婚を申し出るが、茉莉は自分は必ず死に至る難病であと少ししか時間が残されていないことを告げ、和人に今までのことを感謝しながら、もらった指輪を返している。

 

1週間後、茉莉の家を訪ねてきた和人が、最後の3年間を茉莉と一緒に過ごしたいと再度結婚を申し込むが、茉莉は和人に「これからも続く自分の人生をちゃんと生きて! 自分で選んだ茶道を捨てないで! もう逃げないって約束したでしょう」と断ってしまう。

 

和人と別れてから、茉莉は必死で漫画を描き続けた。何かを生み残したいというように。そのうちの一つが出版社の目に留まり雑誌で3回の連載を持ち、単行本も刊行している。そして、結婚が決まった沙苗のために想いを込めて、純白のウエディングドレスを縫い上げる。

 

その後、発作を起こして再度の入院をした茉莉は、病棟からも離れたCCUの一室で、儚く舞い落ちる雪を見ている。薬の効果よりも病気の悪化が早まっており、体の機能が少しずつ奪われていく。そんな時、茉莉は桔梗が妊娠し、甥か姪ができることを知らされる。新しい家族が増え、叔母となってその子と繋がっていられることがとても嬉しく感じられた。けれども、茉莉は桔梗の子とは会えることなく、和人への想いを抱いたまま、天国に旅立ってしまう。

 

茉莉の通夜。群馬から駆けつけた美幸や美弥たち短大時代の友人の涙の中、沙苗が和人に気付いて茉莉の棺まで案内する。棺の中の茉莉は沙苗の作った純白のドレスを身に付け、茉莉花に囲まれて眠っているように見えた。和人は茉莉のおかげで再び茶道に向き合うようになり、家元を継ぐ立場になったと伝え、茉莉と巡り会えて幸せだったと嗚咽しながら茉莉に口づけし、別れを告げる。

ウィキベディアより

映画『余命10年』 基本情報&あらすじ

監督:藤井道人

・第43回日本アカデミー賞において、映画『新聞記者』で最優秀監督賞を受賞。

・他の作品 『宇宙でいちばんあかるい屋根』『ヤクザと家族 The Family』など

あらすじ

数万人に一人という不治の病で余命が10年であることを知った二十歳の茉莉。彼女は生きることに執着しないよう、恋だけはしないと心に決めて生きていた。 そんなとき、同窓会で再会したのは、かつて同級生だった和人。 別々の人生を歩んでいた二人は、この出会いをきっかけに急接近することに——。 もう会ってはいけないと思いながら、自らが病に侵されていることを隠して、どこにでもいる男女のように和人と楽しい時を重ねてしまう茉莉。 ——「これ以上カズくんといたら、死ぬのが怖くなる」。 思い出の数が増えるたびに失われていく残された時間。二人が最後に選んだ道とは……?

映画『余命10年』オフィシャルサイトより

主なキャスト

  • 茉莉…小松菜奈
  • 和人…坂口健太郎
  • 早苗…奈緒
  • 桔梗…黒木華

その他、山口裕樹、井口理、田中哲司、原日出子、リリー・フランキー、松重豊など

『余命10年』ラスト 小説と映画の違い(ネタバレ注意)

冒頭のまとめを再掲しておきます。

『余命10年』のラスト:小説と映画の違い

小説:茉莉は最後に、「やっぱり和人に会いたかった」と思いながら死んでいく。
 
映画:危篤状態となった茉莉の「会いたい、会いたいよ、和くん。和くん、大好きだよ。」という想いが届き、和人が病室を訪れ、微笑み合う。

『余命10年』のラストシーンは、小説と映画とでは大きく異なります。

そのため、感動の仕方も当然違ってきます。

どちらを先に読んだか・観たかで感想も当然違ってくるとは思います。

が、結論から言うと、映画はやはり少し感動の押し付けがあるかな?無難な終わり方かな?って感じてしまいました。

小説の方が、作者の本心、心からの叫びが伝わってきて…、私は号泣しました。

小説『余命10年』のラスト…後悔しない生き方を!

茉莉が和人と初めて1泊デートをしたのち倒れてしまい、退院後に和人の実家を訪ね病気と余命のことを彼に告げます。

その時…、和人が茉莉にプレゼントしていたティファニーのペアリングを和人に返すんです。

まず、ここで泣けます😓。

一週間後、和人が茉莉の残りの時間を自分に欲しいと再度求婚しますが…断られます。

「寂しくないのか?茉莉は俺と離れて寂しくない?俺は寂しくておかしくなりそうだよ。家のことを全部捨てちまってもいいって本気で思った。茉莉がいないなら全部意味ないって。」

小説『余命10年』より

(中略)

「ごめんね。先に死んじゃってごめんね。弱い命でごめんね……。でも、生涯最後に愛した人が、カズくんでよかった……」

「俺は君が、生涯最初に好きになった人だよ」

小説『余命10年』より

茉莉はもう思い残すことは何もなかった。ありがとうもごめんねも好きですも、全部伝えられた。死ぬことも、生きることも、もう怖くなかった。

ゆっくり離れると、もう一度視線を交わす。(中略)

それが和人を見た最後だった。

それが茉莉を見た最後だった。

小説『余命10年』より

“それが和人を見た最後だった。”

“それが茉莉を見た最後だった。”

そう、この後、二人が生きて会うことはもうなかったのです。

ここで、二度目の号泣です。

 

その後の余命3年間を茉莉は死と向き合いながら生きていくわけですが、いよいよ死が差し迫ってきた時、次のように言うんです。もう、これは心の叫びですね。

和人との記憶に浸かりながらぼんやりと考える。

わたしは後悔しているのだろうか。

していないと言えばウソ。けれど、今ここにいてほしいかと問われれば、やっぱりいなくてよかったと思ってしまう。瘦せ衰えて色も影も失っていくような今の自分を見せるのはどうしてもいや。しあわせすぎれば死ぬことは必要以上に怖くなるし、死で別れるのも辛すぎていや。そうしたらやっぱりあの選択しかなかった。結局は、和人のためのように見せかけておいて狡猾な自分のためだった。自分の辛さを半減するための別れだった。

後悔ではないけれど正解でもない。(中略)。

 

だけどやっぱり。

心をさらしていいのなら、やっぱり。

やっぱり、寂しいよ。

すごくすごく寂しいよ。ひとりぽっちはやっぱり寂しいよ。手を握っていてほしい夜はあるし、抱きしめてほしい心細さだらけだし、しあわせだけに包まれて死ぬことができたらどんなにいいだろうと思うよ。(中略)

 

その隣に和人がいたら、あの笑顔があったなら他のどんなしあわせも敵わない-。

 

「会いたいよ……、会いたいよ、和人……」

小説『余命10年』より

……。

3度目の号泣です。

これが、茉莉の本心ですよね。

本当は和人に会いたくて、会いたくて仕方がなかった。

ずっとそばにいてほしかった…。

やっぱり、和人と別れてしまったことを後悔してるってこと、最後の最後に吐露しているんですね。

本当に愛した人、和人への茉莉の想いを思うと…切なくて胸が苦しくなりました。

一度きりの人生、後悔しない生き方を選択してほしいです…。

 

でも、茉莉が願っていた…、和人を生かすってことは成就されるんです。

茉莉のお葬式に参列した和人は、冷たくなった茉莉に「お見合いすることになったからきっとその人と結婚する」って伝えていたのですが、8年後その人とは結婚しなかったことを告げ、ちゃんと愛する人と結婚することになったと思い出の図画工作室で茉莉に語りかけます。それは茉莉が別れる時に望んでいたことで、和人が茉莉と約束をしていたことでもあったのです。

そして、本当のお別れ…。

茉莉が余命10年と宣告されてから書き綴ってきた“思い出ノート”を燃やしたのと同じ、二人が通っていた小学校の焼却炉へ…、

和人もまた二人の“ペアリング”を投げ込むのでした。

4度目の号泣です。

映画『余命10年』のラスト…後悔しなくて済んだ!

お別れのシーンでの台詞は原作とほぼ同じ。

別れた後の茉莉の生き方も…。

でも、危篤状態となり意識が朦朧とする中で、「会いたいよ、会いたいよ、和くん」と叫んだあと、和くんこと坂口健太郎さんが病室にやってくるという…。

私は、原作を読んだ後から見たので、正直ここでは泣けませんでした。

ちょっと薄っぺらく感じたかな。

最後の桜舞うシーン…、茉莉との愛が芽生えた桜が舞う場面の回想は少しうるっときましたけど、やはり原作ほどではなかったです。

まとめ 『余命10年』の小説と映画では小説の方が泣けた

作家・故小坂流加さんによる『余命10年』の小説と、映画監督・藤井道人さんによる映画のラストシーン。

私個人は、小説の方が10倍泣けました。

茉莉の本音の部分が、この映画の描写では弱いように感じたからです。

茉莉の和人に会いたいという想いだけを取ってみれば、映画も茉莉になりきった小松菜奈さんの演技とともに十分に伝わってきて、その点はもちろん泣けたのですが、

“辛さを半減させるために別れた”ってところ…、私にはかなり重要な部分だと思うんですよね。

病気や仕事など何らかの事情で、付き合っていても将来が約束されない関係にある二人、そのどちらかが相手のことを想って、別れたくないのに別れを選択せざるを得ないって時、いや、辛いのを耐えさえすれば付き合い続けても良い関係の時…まさに茉莉のような境遇にある人、昔であれば身分違いの恋をしている人とか(今でもあるのかな?あまりにも家庭環境が違いすぎるとか…)。

相手のことを想って、というのも大切だけど、

愛する相手を信じて、自分の気持ちも大切にしてほしいな、っていうのが私の考え。

映画ではそれが報われた形だけれども、後悔を残して死んでしまった小説の方が、やはり私は映画より10倍は泣けました。

あなたがもし小説を読まれていないなら、是非一度、文庫本を手に取って読んでみてください。

作者・小坂流加さんの悲痛な心の叫びが直に伝わってくるはずですから。